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arc/24

表紙&コンテンツ



 

お知らせ!

ただ今arcアーク25号編集始動開始!暫くお待ちください(^^♪

 

 

arc24号の目次です!

 

特集 

風が吹く!厄災の向こうで扉が開く!

 

編集長インタビュー

●本音のトークをしよう!

上野千鶴子さん(^^♪

エッセイ “もう、変革では生ぬるい!”

浜矩子/池内了/楊逸/青木美希

 

グラビヤ CONTACTコンタクト 椿昇の新境地!

大石芳野の見たトウキョウ

 

ここまできたか!政治家と官僚の堕落!

対談 前川喜平さん (^^♪

●ツイ族の反乱

激しくアベ政治に抵抗する、ツイッターの戦士たち!

 

●連載 お星様になったネコたち     津田みや子

 

●連載 arcな人々

“にこやかな闘士”島田和代さん

 

連載ブックレビュー

『<おんな>の思想』若槻あきら

 

第2回連載コラム

 “ギョロリ” 金平茂紀

●緊急のお知らせ!

「進化するアートマネージメント」

林容子著6刷りを電子書籍化しました。購入は下記アドレスから!

http://www.shinanobook.com/genre/book/4616

定価1000円(税込)

 

 

●レイライン 会社概要

(2021年 1月現在)

 

本社住所

〒213-0022 神奈川県川崎市高津区千年301-1-401

Tel & Fax 044-788-6814

E-mail info@leyline-publishing.com

役員

代表取締役/東郷 禮子/ 取締役津田 みや子

 

会社設立

2001年2月21日

 

事業内容

雑誌arcアークの発行

書籍の企画・編集・制作・出版

催事の企画・開催 著作物・CDの作成・販売

 

事業の主な実績

2001年

カレンダー「I LOVE CATS」制作・販売

社会福祉法人至誠ホームパンフレット受注など

2002年

雑誌「arcアーク」創刊号発刊

 

2003年

arcアーク2号~4号発刊

2004年

書籍『創立者と法人の歴史』(老後の幸せを考える会)(2001年~)

書籍『詩人 尾崎喜八の妻 實子の生涯』(重本恵津子著)

書籍『進化するアートマネージメント』(林容子著 )

書籍『進化するアートマネージメント』2刷

arcアーク5号~6号発刊

2005年

書籍『進化するアートマネージメント』3刷

冊子『小田五六創立50周年記念史』など

arcアーク7号~8号

2006年

書籍『進化するアートコミュニケーション』(林容子&湖山泰成共著)

arcアーク9号~10号発刊

2007年

書籍『進化するアートマネージメント』4刷

arcアーク11号発刊

書籍『妖精たちの通り道』(安彦志津枝著)書籍『チェロを奏く象』(今道友信著)

2008年

書籍『進化するアートマネージメント』5刷

書籍『カナリアノート』-本質的な次元-(東郷禮子著)

arcアーク12号発刊

2009年

arcアーク13号発刊(13号から年誌となる)

2010年

arcアーク14号発刊

2011年

arcアーク15号発刊

書籍『実践アートマネジメント』-地域公共ホールの活性術-

(竹本義明著)発刊

2012年

arcアーク16号発刊

書籍『進化するアートコミュニケーション』2刷

2013年

『進化するアートマネージメント』6刷/書籍

『進化する政治経済学』-途上国経済研究ノート(山崎圭一著)初刷発刊

書籍『ハラハラ、ドキドキ、なぜ歩くの、智恵子さん』柴田智恵子著初刷発刊

arcアーク17号発刊

2014年10月 arc/18号発刊

2015年10月 arc/19号発刊

2016年10月 arc/20 発刊

2017年10月 arc/21発刊

2018年10月arc/22発刊

2019年10月3日arc/23号発刊

2020年10月6日

arc/24 初版発行

資本金

300万円

スタッフ

アートディレクター StudioKanna ・カットクラウド

フォトグラファー・編集スタッフは随時 執筆者多数。

決算期

毎年2月21日

取引銀行

みずほ銀行 武蔵小杉支店(普通)有限会社レイライン 

川崎信用金庫 野川支店(普通)有限会社社レイライン

 

クライアント

サントリーホールディングス(株)など

印刷所

(株)山田製版印刷所/シナノ書籍印刷(株)など

取扱書店

ジュンク堂書店系列店/丸善系列店/リブロ系列店/ブックファースト系列店/

三省堂系列店/有隣堂系列店/文教堂書店系列店/八重洲ブックセンター系列店/

紀伊國屋書店系列店/青山ブックセンター系列店/ナディッフなど全国優良書店

(約1000書店以上)

ネット販売

アマゾンドット・富士山マガジンサービス・ヤマトブックサービスなど

流通

日本書籍販売・トーハン・大阪屋栗田

 

●ただいま、arc/24の個人賛助会員・法人賛助会を新規募集中!

なお、お振込みは以下にお願いします。

●みずほ銀行 武蔵小杉支店(普)口座番号2809341 有限会社レイライン 

 

●郵便局 有限会社レイライン

00290-5-67371

新サイトまだまだ、作成中です!より見やすいサイトにいたします!

https://www.twitter.com/?lang=ja

https://ja-jp.facebook.com/login

●編集長の初期詩編順次公開

夜の海

 

この世界の中で

なにものとも決別せず

さらに孤独であり続け

優美たりえるということは

夜の海に

幾万の燭光を灯すことに等しいのか

人々の不幸と悲惨を凌駕して

己自身が希望たりえるということは

この世に

ひとつの神話を作り出すことに等しいのか

この砂は

 

この砂は海の砂

灼熱の八月の陽に

あぶられた大都会で

そこだけすずやかな小山を築く

小さな白い貝殻の片鱗が光りながら

砂山の表面をこぼれ落ちる

大都会の工事現場のあちらこちらで

砂がまかれ

砂がうめられ

海の記憶をよびおこす

さざ波がたち

潮にまみれた金色の

真昼の海の記憶を

 

水平線から立ち昇った積乱雲が

過去に遡行しながら

大都会の地中深く

また海を創る

未来永劫かわくことのない大海原を

ひとつの均衡 ひとつの次元

 

尋ねることもない

尋ねられることもない

ただ静寂の満ちる闇の中に

空中に浮かぶ一体の像の如く

永遠を凝視して

それ自体の輝きによって

闇を浮かび上がらせるもの

生き死を繰り返す

人の世にあって

ただ深く思念をこらし

ただ深く道理を現じ

あるべき姿に立ち至るもの

 

ひとつの均衡そして次元

 

 

 

 ●編集長の旧ブログより

逆風のなかの創立記念日

明日2月21日はレイラインの17年目の創立記念日だ。この17年間は過去を振り返る余裕もなく過ぎて行った日々であった。今年はかつてないほどの逆風のなかでの創立記念日となった。考えてみれば、過去を振り返る暇もないつけがこの逆風の一要因ともいえる。時々の目標は設定するのだが、少しでもたじろいだり、否定的思考に陥れば、この企ては失敗すると考えていた。
arcアークは、レイラインの根幹を成す事業だが、創刊時から損得勘定とは無縁で、ただ編集長の時々の感性のままに制作してきた。とりまくスタッフも執筆者も“縁”を基準に選んできた。そのようななかで自然体であるというジャーナリストとしてのスタンスは磨かれてきたが、いくら経費を抑えてもゼロというわけにはいかない。しかも名目は事業体である。年ごとの決算もあるし、銀行、印刷所などとの付き合いもある。趣味でやっている“出版事業”ではない。
編集長自身の規範、理想をいかに白日の下で創造し、それを誌面に反映させるということで、わずかながらでも利潤を生みだし、それを日々の生活の糧として、“続け、生き残って”いくこと、それがレイラインにとっての至上命題であった。かたわらには私の思索の糧であった数々の書物があった。毎夜それらを紐解き一行でも読むことが習慣であったが、このところ、読むのは『オーウェル評論集』だけになった。彼の知性に刺激され、もう一歩のエネルギーを得ていた。しかし、逆風はなかなかおさまらない。そこでこんな詩が生まれた。

いたずらに吹く風も私を撃ちはしない
私は烈風のなかをただ歩くのみ
それしか出来ないと言えばそれまでなのだが
心は一方で、不敵な笑いを浮かべている

そう、ここで終わるはずはないのだから

サクリファイス(犠牲)

この言葉は愛する映画監督タルコフスキーの映画のタイトルであった。いま同じタイトルで編集長のブログを書くことは、なにか言い知れぬ思いが胸中に去来する。21世紀前半を迎えても中東では、まるで中世に先祖かえりしたような、騒乱が続いている。

ただ武器だけは向上しているので、騒乱は多数の犠牲者を生み出し、地上の営みを、否、営みのあった町を瓦礫と化す。

そのようななかで相も変わらずポリティカルなパワーゲームが幅をきかせ、一般市民である個々にもたらされる情報は詐術的言説をともない事の本質を隠蔽する。

一体なぜ、フリージャーナリストの後藤健二さんが殺されなければならなかったのか。一方が他方を非難し、他方が一方を弾劾するばかりで、彼に一体何の咎があり、殺されたのかが見えてこない。

テレビで報道される情報も、政府の公式発表も、当事者のことよりも、周辺の国々の政治状況のはざまで、あたかも彼が殺されたかのような説明がほとんどである。日本という国家がたった一人の命も救えないという事実が置き忘れられている。現在日本は「戦争を放棄している」国である。ならば、ただ道義によって、それがいかに幼稚に見えようが、「必死の道義」によってしか問題の解決ははかられなかったし、相手を人間とは別の「テロ集団の怪物」と見はなすことでは到底問題は解決されない。「血には血を、力には力を」という論理では、これからも世界は犠牲者を生み続けるだろう。

それを、いつ私たちは卒業できるのか、新たな世界平和の構想と原則を一刻も早く打ち立てなければ、この世は滅びてしまうかも知れない。

サイトのコメント、40,000件!

編集長のブログ」のコメントの投稿ができないという読者からの指摘で、しばらく放っておいたコメントを閲覧、なんと4万件近くもたまっていた。せっせと削除やスパイム指定をしてもやっと5,6千件ぐらいしか、ほとんどが外国からのコメントで、ヴィトンやパカーなどの名の知れたブランドの宣伝も多い。多分「arc世界連邦政府憲法試案」の英文をサイト一面に公表していることや、ジャパンタイムスの記事を公表していることも大きいだろうが、「編集長のブログ」へのコメントも多くて驚いた。一番多いのは「PCを氷で冷やす」で、こういうものに外国の方は注目するのかと認識を新たにしたが、コメント4万件というのはこのサイトを、一体どのくらいの方々が閲覧してくれているのか、想像しがたくなる数だ。いまはやりのフェスブックでも、??でもない。この数字は公表する必要があると思った次第。それにしても私が承認するコメントを探すのが大変、ですから読者の皆様、コメントは直接レイラインアドレスにメールでください。宜しくお願いします。
● info@leyline-publishing.com(レイラインアドレス)

今道先生最終講義を受講

2010年1月17日 arcアーク編集長 東郷 禮子


(2010年1月16日午後2時 六本木アカデミー・オ-ディトリアムに於いて)

2010年1月16日、今道友信先生のアスペン・フェローズでの「最終講義」を聴いた。先生は昨年6月に医者から「このままでは余命一ヶ月」と宣告され、自説を曲げて大手術を行なった。まだ書くべきこと、語り継ぐことがたくさんあったからだが、心中いかなるものであったか推し量るべくもない。久しぶりにお会いした先生は、明らかに面代わりされていた。手術後で痩せられたとかというようなことではない。先生のお人柄のなかにある何か重要なものが変わられたという印象を受けた。

先生に初めてお会いしたのは、4年前である。初対面なのにとてもそうは思えなかった。專越なことではあるが、詩人と哲学者の感性を持つ者の「魂の質の類似性」というべきものを私は先生に感じたのである。だから私は最初から先生には、配慮はしたが、遠慮はしなかった。そんな私に今にして思えば先生の方が気を使ってくださり、生まれ育ちの違いを私や先生の周囲への気の使い方の中に感じた。

その当時の先生の外貌は「大きく優しげで気品があり」なお且つこれも大変失礼な言い方だが、大きな身体と厳然たる表情の内に少年の初々しさともいえるものを宿しておられた。

そして、そんな先生との出会いが数冊の本となり結実した。中の一冊が湖山医療福祉グループ代表の湖山泰成氏の支援でレイラインから発刊された『チェロを奏く象』である。

今道先生から大学ノートなどに記した約350位の詩の草稿を貸していただき、編集させていただいたのだ。

さて、この日、先生は、先生の2本の杖を持ち、男性二人に支えられて登壇した。初めは声に力がなくどうなることかと案じていた。しかし、時間が過ぎるごとに声に力が漲り、入院以来の外出にも関わらず休憩なしで、2時間以上にわたる「21世紀の課題」と題する講演をされ、15分の休憩をはさみ質疑にも応じられた。講義内容は、1、リーダー論。2、社会構造の逆転―技術関連の変化。3、選択と決断の差異、の3点がメインであるが、先生が提唱されているエコエティカ(生圏倫理学)についても熱心に話された。

2006年デンマークに「Tomonobu Imamichi International of Philosophy-Ecoethics」という、今道先生のお名前を冠した研究所が設置されたことは日本では関係者以外ほとんど知られていないが、

哲学界の世界的第一人者Prof.Peter Kempfが所長を務めている。今道先生は終身理事長というお立場である。  

日本では、先生の主宰する「哲学美学比較研究国際センター」で23回の国際的な連続講座も開催したが、ここで新たな時代の哲学が日々考えられていることを先生はとても誇りにされていた。

●参考図書「エコエティカ」生圏倫理学入門(講談社学術文庫)

この日、先生は、現在アナログといわれるものの中にデジタルの構造の欠陥をおぎなうものがあるというお話をされた。この部分は、先生の面目躍如たる話であった。つまりデジタルも人間が作り出したものではあるが、人間本来に備わっている感覚器官から遠ざかり、なかんずく人間の深い叡智から人間そのものを遮断する傾向にあるということを、ご自分の直近の体験を交えながら話された。先生の話はとても分りやすく、深く聴こうとしない者にとっては卑近に過ぎると思われるかも知れない。しかし先生が尊敬するプラトンもソクラテスも、けして日常の営為から遠く離れた高尚な言葉で哲学を語ったわけではない。むしろ私などは、翻訳されたカントやヘーゲルや、その他もろもろの近代西洋哲学の本を数多く読んだために、日常の思考とは違う「哲学的概念」に馴染みすぎている嫌いがあり、先生が孔子の「論語」や道元の書を引いて解釈してくださる漢字の深い意味に蒙を開かれる気がすることがある。いずれにしても先生と私では教養の程度が違いすぎるので、ここはあまり踏み込まない方が無難であろう。

ともあれ先生は、「人間そのもの」のまだ発見されていない能力はアナログそのものの中にあると考えている。その能力なり、叡智が発揮されないうちに、なにやら便利で効率的ではあるが、いかがわしい部分もあるデジタル構造というものにすべてを預けてしまっては危ないと警告を発せられた(要旨)。

しかも時代は先の見えない変動の時である。少なくとも時代のリーダーを目指すものは、「人間にとっての新たな規範を義において考える」くらいの気概を見せて欲しいと鋭い眼差しで語られた。そして、リーダーの持つべき徳目である「義」と「レスポンシビリティ」は相合して人類意識に開かれた徳目となることを強調された。リーダーになるということは、「権力を志向することではなく」、「我を犠牲にして人類そのものに自己に与えられた能力を捧げ尽くすこと」であると言われた(要旨)。このように語られたときの「先生の鋭い眼差し」、これが久しぶりにお会いした先生が面代わりされたと私が感じた最たるものである。私は、先生が半年以上、この下界から隔てられている間に、先生を良くも悪くもこの下界に縛り付けていた「今道先生という人格のなかに存在した重要な何か」を振り捨ててこられたのだと思った。これは、私にとって衝撃的な体験であった。

最後に先生は、一人の質問者に次のように答えられた。

「私が、預言者になったかどうかは知りません。しかし哲学史家ではなく、哲学者になったことは確かです」(要旨)

*若年の今道先生が、鎌倉の西田幾多郎宅を訪れたときに、「根拠を持った預言者になりなさい、云々」と西田から言われたというエピソードを読んだ質問者が、「現在の自分がそのような存在なったと思うか」という質問への答え。

先生の講演が終り、同行者と近くの店で、感想など語りあったが、私は上の空であった。先生が語られたここに記すことのできなかった先生の様々な言葉が脳裏に渦巻いて消えなかった。

雪のさんた・まりあ

 

現在1月14日午後1時30分。神奈川県全域に大雪警報が出た。外はまるで雪国のごとく真っ白な雪に覆われている。

 

明日1月15日は、アウグスティヌス今道友信先生の追悼ミサが行われる。

私は出席する予定で数日前からいろいろ準備をしていた。たいした準備ではないが、それでも私の中では格別の思いがあり、喪服をクローゼットから出したりしていたのだが、この日の大雪で、思い直し、平服で行こうかなどと考える。

 

今道先生は昨年10月13日に逝去されたのだが、私がそのことを知ったのは1カ月後のことだった。あの時期arc/16発刊の最終局面を迎え、新聞に目を通す暇もなかった。先生が末期的病状で入退院を繰り返していたことは知っていたが、ときおり葉書などで連絡をいただき、それに返事をするという感じで、私の中では、先生の「最終講義」のときにお別れは済んだのだという想いが強かった。しかし、実際に訪れた先生の死は、思いのほか私を直撃した。

 

だから、今までこのブログでも先生のことは書かなかったし、書けなかった。

 

今日、降り積もる雪を見ていたら、先生の「雪のさんた・まりあ」という詩を思い出した。そして、この詩を『チェロを奏く象』という詩集に収め編むまでの先生との何十時間にも及ぶ白熱した討論の場面を思い出した。

 

「雪のさんた・まりあ」は若くして亡くなられた今道先生のお姉様を思い書かれた詩のひとつだ。それらの詩は『チェロを奏く象』の「ヴィラ・ハドリアナ」という章に収められている。

 

わたしはこれらの詩編を読むたびにいつも、いつも別世界で編まれた今道友信という詩人の別次元の生の慟哭を感じて、不思議な気持ちになる。

 

生前、先生はいつでも、満月の夜にはお姉様と再会し、空を飛び、鳥に姿を変え、自在であり、そして幸福であったのだ。しかし、この世の桎梏のなかでは、先生はあくまでクリスチャンであり、アウグスティヌス今道友信であった。

 

「雪のさんた・まりあ」はそのような先生の、透明な、あまりにも無防備な心の奥底から自然に紡ぎだされた傑作であると改めて思う。

ジャック・ロンドンⅢー凄絶な孤独―

引き続き、就寝前にジャック・ロンドンの作品を読んでいる。今読んでいるのは「マーティン・イーデン」という長編の作品である。この作品も自伝的要素が強い。

読み始めたらすぐに、若いマーティン・イーデンに「寅さん」のイメージが重なり、もしかしたら山田洋二監督もこの作品を読んで寅さんという人物を造形したのかもしれないと思ったほどである。しかし、わずか20代で作家として望むかぎりの成功を手にしたジャック・ロンドンが、40歳で自殺したことを知っている私の胸中は、この笑いを誘う青年のひたむきさに寄り添いながらも心に哀愁が満ちてくる。

「天才の孤独」といえば月並みだが、それが、いわく、いいがたい人の世の本質と個々の存在の本質を見極めてしまう直感の天才であり、そのこと自体が彼の生の動機だとしたら、その天才とはどのようなものだろう。彼にとっては、この世での富も名声も、自分の生の達成にはなりえない。つまり有名人になり、億万長者になってもそのようなものに満足できない。むしろ、そのようなことで隔てられてしまった、かつての自分と仲間たちにとの距離に絶望する。それは凄絶な孤独である。自分さえも突き放つ孤独。そしてこの長編の最後にその孤独がマーティン・イーデンを襲う。

ここに記述されているマーティン・イーデンの心情のほとんどは、ジャック・ロンドンの経験に基づいている。多分、このような魂を授かった者は聖人になるしか道はない。それとも寅さんのように、ちょっと手前で身を引いて、自分をふくめたこの世のすべてを笑って肯定する。だが、ジャック・ロンドンはとてもそれでは納まりがつかなかったのだ。

 

類と生まれし我ら

あなたでもなく、わたしでもなく

人として、ともに生きる手立てはどこにあるのか

日日の生活のなかに

歴史のなかに、こたえはすべてあるはずなのに、それが掴めない。

 

類として生まれし我ら

あと、どのくらいの時を重ねればそのようなものを掴めるほどに

賢くなれるのか

 

類としての終焉が始る前に

(はた、もう始っている?)

 

さあ、始めなくては!

 

ギイギイ鳥年代記

5月にはいると向の斜面の林で様々な鳥の鳴き声が聞こえてくる。

ホトトギス、山鳩が毎年決まって独特の鳴き声で楽しませてくれるが、他にも様々な小鳥の鳴き声がベランダに面した窓から聞こえてきて気持ちを和ませてくれる。

しかし、今年はそこに異様な鳴き声が混ざり、頻繁に自己主張をしている。

まるで錆びた鋸を無理やり引いているような、「ギイギイ」という鳴き声だ。姿はまだ見つけられないが耳障りで仕方ない。

そこで、ふと考えた村上春樹が「ねじまき鳥クロニクル」を書いたように、この耳障りな音を主題にして「ギイギイ鳥年代記」を書いたらどうかと、無論すぐにではない、そのうち、ゆっくり、でもその間に着想も消えて、「ギイギイ鳥」の耳障りな鳴き声も消えるかもしれない。

世界中からも、この5月、耳障りなニュースが次々と聞こえてくる。

自然そのものは、こんなにも晴れやかで美しいのに、一体「人間」はどうしてしまったのだろう。まるで歴史に学ぶこともなく、残虐、非道な行いを繰り返している。特にこの「ニッポン」一見のどかで、「平和」。しかしそこに目立って聞こえてくるのは、「ギイギイ鳥」の耳障りな声、いつかこの耳障りな声が多数を頼んで、国中を覆うならば、美しく鳴く小鳥たちは、居場所を失い消えて行くしかない。その前になんとかしなければ、この声は「天然自然の声」ではなく、学ぶことを忘れた人々を操る狡知に長けた「時の政権の声」なのだから。

17歳の背中

17歳になったばかりの私は日本中旅をしていた。行き当たりばったりで、気が向いたところに行き、とりあえず、どこかに住み込みの働き場所をみつけ、数か月、あるいはもっと短く、その地にとどまり、また居場所を変えて次の土地に行く。

必需品は「時刻表」だけだった。乗り継ぎのための路線や時間。それが分らないと路頭に迷う。ありていに言えばそれは放浪といってもよい旅であったが、時刻表があるために、浮草のようではなく、バックパッカーでもなかった。

だいたい、その旅に出た時の持ち合わせ金は500円。どこかで働らかなくては、旅は続けられない。それほど深く考えたわけではなかったが、それは私の旅のルールのようなものだった。そして北海道から九州まで巡りあるいた。

印象に残る出来事はたくさんあったが、今回ふと、この旅のことを記してみる気になったのは、各地で立ち寄った「銭湯」のことが念頭に浮かんだからだ。

青森でも、弘前でも、函館でも、鹿児島でも、私が「銭湯」に行くと、必ずどこかから、年上のおばさんらしき女性が現れ、「背中流すね」という意味の言葉を発して、背中を洗ってくれる。私は「ありがとう」と言ったきり、顔も見ない。それは、あまりにも、あたりまえになってしまい、当時は深い意味も考えず、されるがまま背中を流して?洗ってもらっていた。だが、ふと考えた。

自分ではまったく意識していなかったが、当時の私は可愛らしい娘であり、美少女の部類にも入っていたらしい。後年何人かから、そう告げられてびっくりした。2つ年下の妹が超美人であったため、顔の美醜についてはいつも引け目を感じていたぐらいだった。

しかし、何人かの友人の証言通りだとすれば、「銭湯」での毎回のおばさん登場は合点がいく、見知らぬ土地の「銭湯」に、どこか寂しげな影を持った見慣れぬ少女?がいる。

しかも可愛らしいく、頼りなげでもある。これは見過ごせない。背中ぐらい流してやろう。

というのが、当時の日本全国の「銭湯に通うおばさん」たちの共通認識だったのだろう。

現在、日本全国にそのような共通認識があるかどうかは知らぬが、いま思い返せば、その光景は、ほのかな湯気のなかに出現した幻のように儚いやさしさを漂わせていた。

ファンタジック

このところのニュースを見聞すると、なにかすべてが現実離れした出来事のように思える。「北朝鮮の水爆実健の成功」とか、「通常国会における与野党の答弁」とか、「祖父母を複数の凶器で殺害した中学生」とか、「サウジアラビアとイランの国交断絶」とかエトセトラ。これらの件にコメントする様々な解説者の解説も含めて、なぜかすべてがフンタジックに見えてしまう。つまり、出来あいの質の悪い物語めいて見えるのだ。予定調和のなかで物語が巡り巡っているような、とでも言えばよいのだろうか。この既視感を越えてまっとうな現実感を取り戻すことが私にとっても、世界にとっても凄く大事なことだという予感はある。斜に構えた現実認識は無機質なニヒリズムを生む。それはいつの時代も傲然と構えた権力者たちに寄与することになる。小さな一人のわずか一歩の歩みがこの世界を変えることを信じて、今年も編集長は我慢強くこの道を進んで行きます。

 

風に身を焼かれて

というタイトルで編集長のブログを久しぶりに書き始めたのだが、何を書けばよいのだろうかとしばし戸惑う。詩人の本性が頭をもたげ、言葉が先に出てきてしまった。

ただ、この数か月は私にとっては、そのような状況であった。

ゲームでいえばすべて手詰まり、前方に仄かな明かりが見えているものの、なかなかそこにたどり着けない。だが、ただ立ち尽くしているわけにはいかない。やるべきことはたくさんある。ということでまずはarc/17を完成させた。無心になって大きなエネルギーの塊を放った。この号は今道先生に捧げる号でもあるのだ。仇やおろそかな気持ちで取り組むことはできない。それでも流れ来る時の細部から、拮抗する闇が顔を覗かせる。

人の心と表情の深淵から、無いものと、有るものがないまぜになって見える。それは、

こちらの解釈ひとつで暗にも光にもなり得るものである。まさに内なる闘い。

ところで、数億年前には、「タコ」と「ハマグリ」は一体の生物であったらしい。「タコ」は闘ったから「タコ」になり、「ハマグリ」は闘わなかったから「ハナグリ」になったという。arc/17の津田大介君との対談の収録を終えた、深夜の六本木の路上で椿昇氏が私に話してくれた。「タコ」のが数段賢いというオチがついている。ヘトヘト状態の編集長への激励としてふと思いついて、話してくれたのだろう。要は“タコを目指して闘え!”ということである。

アトムの残骸

疲労困憊したときによく思い出すのは、少女のころに読んだ『鉄腕アトム』の漫画の一場面である。
敵と戦い空を飛んでいたアトムが燃料切れを起こし、海に墜落してしまう。そして波打ち際に腕や足がバラバラになったアトムの残骸が流れ着いているという一コマである。
少女のころに読んだ手塚漫画は、『大洪水』など、どれもどこか哀しく、とくにこの場面には胸を締め付けられた記憶がある。昔から動物や人の心を持ったロボットなど人間以外の存在を主人公にした小説などを読むと、人に感情移入するよりも、ずっと深く感情移入する傾向があった。今はまだ深く分析し終えてはいないが、「鉄腕アトム」にもかなり感情移入していた。上記の場面を思い出し、つらく哀しいアトムを思い、そして自分もいつか修理され回復するのだと思う。

 

 

2015年「新年に想うこと

 

昨年、総選挙で安倍政権が勝利してから、これまで以上に「私」にとっての「戦争と平和」を考えることが多くなった。

そんなときに手に取ったのがヘルマン・ヘッセの「エッセイ集」である。ヘルマン・ヘッセは15歳のときから愛読し、彼の『デーミアン』『車輪の下』『シッダールタ』などは、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』などと共に、若年の魂の大きな糧となった。ヘッセは第1次世界大戦と第2次世界大戦の渦中を生きたドイツの作家であり、しかも妻はユダヤ人。後年はスイスに移住し、市民権も得たが、ヘッセが高名になればなるほど、2度の大戦中の彼の言動に注目が集まり、幾度も、幾度も苦い思いを味わった。しかし、その度に彼の思索は深まり、彼と友情を結んできた人々との往復書簡は行間ににじむ相手に対する思いやりもふくめて感動的である。

 

下記引用文で、ヘッセが「政治的」という言葉で書いている含意は、イデオロギーや宗教、政党色に本人はそれと気付かずに、まるごと熱狂し、支配されている状態を指している。そのような熱狂のなかでの、自己正当化、自己の行動の動機付けを行う人々が大勢いた時代の最中であった。

 

トーマス・マンはヘッセの大事な友人であり、当然上記の人々とは違う。それでも困難な時代状況のなかで、意見の相違はあった。

 

トーマス・マン宛書簡より(1936年2月13日)

「私は、これまでと同様、生活全体や人類全体が政治化されるべきだとは考えておりませんし、死ぬまで自分は政治化されまいと努めるでしょう。武装せず、殺される人間もいなくてはならないのです。」

(2010年11月「ヘルマン・ヘッセ全集」第8巻エッセイ全集)臨川書店

 

この言葉は、戦争を放棄した「日本国憲法第9条」を支持する覚悟と同じではなろうか。少なくとも、私自身はずっとそのように考えてきた。

 

しかし、2015年現在。来るべき「戦争」に備えて「安倍政権」は必死になっている。彼らの思い込みのなかで過去の戦争は「戦争阻止の教訓」としては生かされず、「戦争が起こった場合」の戦略として生かされる。

冷静に考えれば、まるでブラックユーモアである。しかし、そんなユーモア感覚を彼等に期待しても無理。総理は「真面目に、真剣に熱狂」している。

ならば、私たちはそんな現在、どのような立ち位置を安倍政権とこの時代にとるべきなのだろうか。“理想”はヘッセの生きた時代に限らず、これまでの歴史のなかで現実から嘲笑され続けてきた。しかし、よく考えてみよう。そのような一握りの理想と自らの“良心”に正直であり続けた人々がいたからこそ、過去の大惨劇を幾度となく乗り越えて、不完全ながらここまできたのだ。

 

確かに、革命を起こしして「自らの理想の世の中」を具現化しようとする考え方は未だ現在である。革命とまではいわずとも「アラブの春」も「イスラム国」もそのような考えで実行された。このふたつを同列に並べるのはいささか抵抗もあるが、武器を持つか、多数の熱狂に頼るかの違いであろう。

 

また、総理は日本国憲法の「自衛のための戦争まで禁じてはいない」ということを自己正当化の骨子に据えている。それだから、「攻められる前に備えようと」している。その背景にはまだ、まだ軍事力が幅を利かす世界の現状がある。しかし「武器輸出」まで税金を使うとなると、これまでの日本の「平和国家」たる原則はどうなるのか。そこまで踏み切れば、もう、現状追認でどうとでもなってしまう。そうしたなかで「日本は世界の中心で光輝く国」になれるのか。

道義を無視して、ただ経済と覇権によって、この国に住む人々が幸福になれるのか。総理のなんでもありの二重基準によって、人々の表情は険しく、悲しいものになっていきはしないか。

 

いつか、「地球連邦」の時代が到来したら、我々がこの時代にいつ、どのような歴史を記したのか、判然とする。だか、そのときでは遅い。だから、せめて目前にある「集団的自衛権の行使容認」の反対。「特定秘密保護法」反対ぐらいは表明しなくてはと思う。それを「政治的行動」とは、ヘッセも言わないだろう。

 

大浦食堂にて

堀越千秋の一周忌が11月5日東京芸術大学美術館内の「大浦食堂」で行われた。参加して、堀越さんに最後のお別れをした。美術館裏手の枯れ始めた樹木に囲まれた一角に喫煙コーナーがあり、椅子に座り、彼のことなど煙草を吸いつつボーっと考えていた。暮色に包まれたその一角に10分ほど一人きりでいると、彼の不在が身に染みてきた。お互いに忌憚なく何でも話せた貴重な男の子が居なくなったのだ。「男の子」と書いたが、まさに彼はそんじょ、そこいらの「大人」とは違っていた。「子ども」のように率直、そして「こども」が囚われている囲いもなかった。彼にとっては、「ひとり、ひとりが違っていることが当然」で、それゆえ、その貴重な一人としての「自分をどのように生かす」かが大事であった。
画家としての生涯を選んだときには、もうすでにその道を行くことで蒙るであろう厄災への覚悟は決まっていた。だから、人に何と言われようとほがらかに振る舞うこと以上の処世の方法はなかった。自分の感性のみを信じて精進し、気に障る「政治屋」どもには、毒舌を吐いた。そのようなとき彼の言説からは小気味よいほどの批判精神がほとばしった。まるで軽快なギターの伴奏で、「カンテ」を唄うときのように。
今日でサヨナラ、でも堀越さんの人としてのDNAは私の中にも生きているいるから、あまり変わらないか。

レイシスト

「レイシスト」と断言してよい輩が、最近社会の中で、大手を振って歩いている。2018年日本の状況だ。それにしても何でここまで彼らの勢力が拡大してしまったのか。日々の新聞、テレビ、出版界、それに広告業界の分野まで。レイシストが自ら企業の運営をしている、それは、日本に限らず、世界中である。なにしろ儲け第一主義が世界中に蔓延っているのだから。そのなかにレイシストがいても少しもおかしくはない。だいたい「人間」は、古今東西「差別」することが好きだった。社会が階層化しているとき、そのはざまで割を食っている人々は、差別を「笑い」として芸の域まで高めたのだし、世間の人々も「誰かを差別することで」自分の境遇なり、コンプレックスを慰めてきた。しかし昨今の「レイシスト」の横行にはかなり政治的臭いがする。政府が主導して特定の人々に対する差別を煽ってきたとまでは言わないが、政府中枢に居る人間も、社会で重要な役職を担っている人のなかにも公然とレイシスト的言動をとる人が増えてきた。

現政権が影響しているように思えてならない。

特に最近某出版社が「レイシストの最たる人間の本」を出すと言う。「相模原の障害者施設で19人もの命を奪った犯人の本である。出版人の見識が問われる。言論の自由は大切だし、「ゴキブリとも共生するのが多様性を認めることの本義だと」あるイスラム学者は言ったが、「ナチズムの考え方」を「社会問題風」に形を変えて世に出すことの意味がどこにあるのか。絶対的悪はあるのだ。2度とそれを許してはならない。

 

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ジャパンタイムス記事

2003年6月29日

誰の援助もなしに始まった困難なプロジェクトのスタート
Going it alone

― そのプロジェクトとは ―
「憂鬱から明るさへ読者を開放する雑誌arcアークの発刊」
'to lift the gloom'


永年、日本の雑誌業界に不満を抱いていた東郷禮子は、「雑誌は単なる広告媒体となり、私が読みたいと思う雑誌は一冊もない」という。

「今日、雑誌の数は多いものの、ほとんどの内容がうすっぺらだから、雑誌など読む必要性がないと、読者はテレビやインターネットに鞍替えしている」とアーク・ライターの東郷(57才)は言う。

だが、東郷は不平を言うだけではない。同じ意見を持つ複数の女性とともに、自分たちで新しい雑誌、「アーク」を出版することにした。

「アーク」は季刊で、昨年10月に創刊された。ページ数は100ページ余、ほとんどがカラー印刷でイラストもある雑誌である。現在は各号1万部近くを販売しているが、東郷編集長の夢はもっと大きい。「ざっくばらんに言って今は赤字です。しかし明確な哲学をもつ雑誌として、日本の雑誌業界に新しいビジネスモデルを作り上げることを目指しています。購読者数を少なくとも3万にふやしたいですね」と語る。

「私は、雑誌アークの哲学―さまざまの境界を飛び越える―には自信を持っています。近い将来英語版を出す予定で、充分、資金を作るためベストを尽くします。できれば、イタリア語版やドイツ語版も出したいと考えています」

その夢に向かい、現在、ほとんどの記事の冒頭に英文サマリー(要約)をつけている。それは、海外にいる日本人読者が、土地の友人や読者の(日本語が難しい)パートナーにアークを見せたり、内容を理解してもらうときに役立つからだと東郷は言っている。

このように明確なビジョンを持っているにも関わらず、レイライン(有限会社レイライン・発行元)は、日本の雑誌市場への参入が大変難しいことを知る。特に大手取次店のトーハンや日販は、小さな出版社の真面目な雑誌では多くの読者を得る事が難しいと、新しい雑誌の取り次ぎを断った。そこで、東郷と同僚は、紀伊国屋をはじめとする有名書店など多くの書店と直接交渉し、雑誌の販路を開拓し、現在もその努力を続けている。

「雑誌アークの目標と基本的スタンスは、知的な刺激や衝撃を与える雑誌を作りたいということであって、そのため意図的に反体制スタンスを取るつもりはありません」

この目標を実現する方法として東郷が焦点をあてようとしているのは、日本人、外国人を問わず、その理念や生き方が21世紀に生きる人々の思考と一致したり、心の糧となったりする人々である。毎号、雑誌「アーク」には「日本人をもっと知ろう」という記事があり、そこでは特定の人物とそれにまつわる人々が登場する。

創刊号は野村胡堂(1882-1963)氏を取り上げた。氏は江戸時代の岡引・銭形平次の作者として、また音楽評論家としても有名であるが、新しい世界文化の構築に寄与する人材育成のため奨学資金財団を創設し、東西文化交流を助成したことは知られていない。創刊第2号は、岡山県出身の企業家・大原孫三郎(1880-1943)氏である。氏は大原社会研究所や大原美術館の創設をはじめとして、社会福祉や教育分野で慈善事業を行った人である。創刊第3号では、第二次世界大戦後の前衛芸術のリーダー、岡本太郎(1911-96)氏、氏の父親で大正時代のコマ漫画会のリーダー、一平(1886-1948)氏と母親であり、詩人で作家の岡本かの子(1889-1939)氏を取り上げている。

東郷編集長は自らを「炎の編集長」と称し、毎号20ページにのぼる「炎の編集長インタビュー」を掲載している。東郷は、創刊号ではタレントでフェミニスト作家の遙洋子氏、第2号では著名なフェミニストであり社会学者でもある東大教授の上野千鶴子氏、第3号では経済小説や近代日本の歴史小説の作家・城山三郎氏にインタビューしている。

一方、アークの視点は、日本や現実の世界だけにとどまらない。第2号ではJ.R.R.トールキンの「指輪物語」から魔法使いのガンダルフと「星の王子様」の著者サン・テグジュペリを、第3号ではアナイス・ニンとカール・グスタフ・ユングを取り上げている。

また、アークはイギリスのパブや諸外国・地域の写真、旅行記、詩、本・映画評論、私の町のほっとスペース、この出版社レイラインがある川崎に住む野良猫がヒロインの物語・チャコロードなどが連載されている。東郷の説明によれば、この雑誌の創刊の背景には、左翼系週刊誌の読者としての不幸な経験があるという。

「私は、『週刊金曜日』の創刊以来の定期購読者でしたが、それを読めば読むほど気分が落ち込みました。何の希望の光ももたらさないように思えたからです」 

「中には、硬直した思想や1960年代や1970年代の日本の反体制知識階級の価値観が、いまだに影を落としている総合雑誌もあるような気がします」

確かにアークは日本を越え、海外にも目を向ける努力をしているが、過去、現在の日本人パーソナリティにも重心を置いている。それについて東郷は、何の弁明もしていない。

「私は、世界にアピールする考え方や生き方をする日本人がおり、そうした考え方や生き方が私たちに希望を与えることができると思っています。そういう方々は、生者、故人にかかわらず、私どもの読者に紹介するにふさわしいと信じています」

「このような日本人や日本文化の側面を深く掘り下げることで、私は、日本の文化がさらに広く世界に関係していると言いたいのです」

しかし、アークの興味の対象が多岐にわたるのが一番のとりえではある。このように純粋に「一般的な」雑誌が、ごく限られた読者の要求に応じることなく生き残れるのかどうか予測するのは興味深い。確かに東郷のジャーナリズムに対する意気込みがなんらかの指標になるなら、成功は保証されるということだろう。

なぜなら、東郷自身が言うように、「社会現象や国際政治にはじまり、個々人に関する事柄にいたるまで題材が不足して困ることなどありません。しかしこれら諸々の事象には、これまで一定の角度(固定角)からしか光が当てられてきておりません」(一定の視点から観たリポートしかなかった?)

「私たちは従来とは違った視点で対象にアプローチし、深く突っ込んだ取り組みをしたいと考えています。掘り下げれば掘り下げるほど、多様な形の取り組みができると考えています。

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Sunday, June 29, 2003

ARC

Going it alone 'to lift the gloom'

By TAI KAWABATA
Staff writer

Reiko Togo has been very dissatisfied with Japan's magazine industry for a very long time. "Magazines have become just vehicles for advertisements, and there are none I want to read," she says.

As a writer herself, 57-year-old Togo feels that despite the vast number of titles available, "their contents are so weak that people feel there is no need to read them, so instead they just watch television or browse the Internet."

But unlike most of Japan's millions of malcontents, Togo and several other like-minded women got together and decided to act -- to form a publishing house to launch a new magazine themselves.
The outcome was Arc, a quarterly they launched last October with more than 100 glossy pages -- almost all of which carry color photos and illustrations.

At present, sales of Arc are approaching 10,000 copies of each edition. However, as chief editor of Leyline Publishing Co., Togo's ambitions for Arc are greater still. "Frankly speaking, we are in the red now," she says. "But we are trying to build a new business model in Japan's magazine industry with a clear philosophy. I would like to see the readership climb to at least 30,000.

 

The cover of the second issue of Arc, which aims to "transcend national boundaries."
"I am confident that our philosophy transcends national boundaries. We will do our best to generate enough money to publish an English edition in the future. If possible we would like to publish editions in other languages too, like Italian and German."

For the moment, however, such ambitions are limited to short summaries in English at the start of most of the articles, which Togo explains are for readers living abroad who may want to show Arc to friends there, and also for those with foreign spouses, so they can understand what it is all about.

Despite having such a clear vision, though, Leyline soon found out just how hard it is to get into Japan's magazine market at all. In particular, the major magazine distributors Tohan and Nippan refused to handle the newcomer -- on the grounds that it was a serious magazine put out by a small company and would face difficulties in getting a large readership.

Undeterred, Togo and her business partners set about creating their own marketing network by approaching major bookstores including Kinokuniya Bookstore directly. They have also been able to arrange for many copies of Arc to be delivered direct to subscribers by trucking companies.
Speaking of the magazine's goal and basic stance, Togo says, "We would like to make a magazine that is intellectually stimulating and explosive. But that doesn't mean we deliberately take an antiestablishment stance."

Editorially, her approach to realizing this goal is to focus on people -- both Japanese and non-Japanese -- whose ideas and way of living "are in tune with and provide food for thought for people in the 21st century."

Each issue of Arc has a section called "Let's learn more about the Japanese," which profiles a particular person and his or her associates. The first issue featured Kodo Nomura (1882-1963), a novelist and music critic best known for his popular stories of Zenigata Heiji, an Edo Period detective -- but who also established a scholarship fund to nurture people who can contribute to building a new world culture, and to foster exchanges between cultures of the East and West.

In its second issue, the magazine featured Magosaburo Ohara (1880-1943), an entrepreneur from Okayama Prefecture who made contributions in the social and education fields, including founding the Ohara Institute for Social Research and the Ohara Museum of Art.

In its third issue, Arc turned its attention to Taro Okamoto (1911-96), a leader of Japan's postwar avant-garde art movement; his father Ippei (1886-1948), the leading cartoonist of the Taisho Era (1912-1926); and his mother Kanoko (1889-1939), a poet and novelist.

Togo, who nicknames herself "editor of burning passion," also carries an in-depth, 20-page interview in each issue.

To date she has interviewed TV personality and feminist writer Yoko Haruka; Chizuko Ueno, a University of Tokyo professor who is a leading feminist sociologist; and Saburo Shiroyama, who writes novels set in the business world and also books on modern Japanese history.

But Arc's horizons aren't limited to Japan -- or even the real world. In the first three issues, it ran articles about Gandalf the Wizard from J.R.R. Tolkien's "The Lord of the Rings" as well as ones about "Little Prince" author Antoine de Saint-Exupery, Anais Nin and Carl Gustav Jung. The magazine also has regular features on pubs in England, photo-features on foreign countries and regions, illustrated travel essays, a poetry section, book and movie reviews, a section called "A Hot Place in Town," and "Chako's Road," an ongoing fiction story whose heroine is a stray cat living in Kawasaki, where Leyline Publishing Co. is located.

Behind the magazine's approach, Togo explains, is her unhappy experience as a reader of a quality left-leaning weekly. "I was a subscriber to 'Shukan Kinyobi [Weekly Friday]' from the first issue. But the more I read it, the gloomier I became because it didn't seem to offer any rays of hope," she says. "I feel that the rigid thinking and values of Japan's antiestablishment intellectuals of the 1960s and '70s still cast a shadow over some general magazines here."

Though Arc certainly strives to look beyond Japan, Togo makes no apologies for also placing emphasis on Japanese personalities, both past and present. "I think there are Japanese figures whose ideas and ways of living have a universal appeal and can give hope to this generation. And I believe such figures, whether alive or dead, deserve to be presented to our readers.

"By delving into such Japanese figures and aspects of Japanese culture, I would like to show that Japanese culture is relevant to the wider world."

However, Arc's interests are nothing if not broad, and it will be interesting to see if such a genuinely "general interest" magazine can survive without catering to a narrower readership.

Certainly, if Togo's enthusiasm for journalism is any indicator, its success should be assured, for as she put it herself: "There is no shortage of topics -- from social phenomena and world politics to what is happening among individuals -- but light has been shed on these things only from fixed angles.

"We would like to approach things from different angles and look in depth. And the deeper we dig into things, the more varied ways we find of looking at them."

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